TRADITIONAL STYLE

Vol.16 横溝直輝


Dec 11th, 2013

photo_shota matsumoto
text_jun takahashi(rhino inc.)

今回インタビューしたのはSUPER GTをはじめ、モータースポーツの第一線のトップを走り続けている横溝直輝さん。9歳からゴーカートに乗り始め、その3年後に初めて参加した大会ではまさかの優勝! それからトントン拍子にステップアップかと思いきや、道のりは直線だけではなかったようです。今回取材をしたのはレーサーに憧れるきっかけをつくった思い出の場所でもあり、初めてフォーミュラカーで優勝した富士スピードウェイにて。

物心が着く前からレーサーに憧れて。

ー いつからレーサーになりたいと思ったんですか?

横溝直輝 3歳ぐらいの時、両親とここ富士スピードウェイにレースを観に来たんですけど、生で観たらレーシングカーとかレーシングドライバーがとにかく格好良く見えて。それからレーサーになりたいってずっと思っていました。

ー 3歳ぐらいってそうとう早いですね。よっぽど憧れがあったんですね。

横溝直輝 ええ、強くありました。保育園の卒園アルバムとかにも「レーサーになる!」と書いていましたし、その当時に国内で走っていたドライバーの名前を全部言えましたからね。今、うちの子が今年4歳になるんですけど、自分がこの時にレーサーになるって決めていたことが不思議に思えます。

ー 個人差はありますが、その位の子供ってしっかり意志を伝えるような年頃じゃないですよね?

横溝直輝 そうですよね。3歳の時、何日か入院したことがあるんです。親が元気づけようと思って「何か欲しいものある?」と聞いてくれたのですが、漫画ではなく”オートスポーツ”という、大人向けのモータースポーツ専門誌をオーダーしていましたから。普通じゃなかったかも知れませんね。もちろんスーパーヒーローとかも好きだったんですけどね。

ー 80年生まれだと小学校低学年くらいの時にミニ四駆ブームがあったと思うんですが、それよりずっと前にレーシングカーに魅せられていたんですね。

横溝直輝 もちろん普通の子供だったので、ミニ四駆は熱狂的に好きでした。コロコロコミックに至っては隅々まで読んでいました。朝は”タミヤRCカーグランプリ”をしっかり見て。

ー そんな横溝さんが初めてレーシングカーに乗ったのはいつですか?

横溝直輝 自宅近くに”大井松田カートランド”というレーシングカートコースがあって、そこでレーシングカートに9歳から乗っていました。当時は年齢制限があったので、ひたすらぐるぐるとコースを回って練習するだけでしたが、小さいマシンとはいえ、憧れだったレーシングカーなので、すぐにのめり込んじゃいました。

ー 近所にゴーカートコースがあるなんて、すごい偶然ですね。

横溝直輝 それはもうすごくラッキーだったと思います。才能がいくらあっても、それを活かせる場、つまり環境があるかどうかが重要なんですよ。どのスポーツでもそうだと思うのですが、18歳になって免許を取ってからレーサーを目指しても、当たり前だけど遅すぎて正直厳しい。18歳で初めて野球を覚えた人がプロ野球選手になるのは非常に難しいですよね。それと一緒です。レーサーになるんだったら小さいうちからカートに乗っていないと今は正直厳しいですね。僕の場合は両親がレース好きという幸運も重なっていましたが。

初めてのレースで優勝。

ー ゴーカートってどれくらいスピードが出るんですか?

横溝直輝 大体80km~100kmくらい出ますね。しかも目線が路面に近いので、体感速度は200kmぐらいなんです。乗り物といったら自転車くらいしか乗ったことがない子供が、よくあんな乗り物に乗っていたな、と今になって思います。

ー 最初の公式戦で優勝したと聞いています。

横溝直輝 はい。初めてのレースで優勝しました。参加していたのが全員大人で、その中で年齢制限をやっとクリアしたばかりの12歳の子どもが優勝したので、周りがビックリしていましたね。レースの内容はもちろん、レース前の緊張感は今でも覚えています。

ー 中学生ですからね……。学校では部活などやってなかったんですか?

横溝直輝 中学まで部活で剣道をやっていました。剣道は結構強くて、全国大会の時なんかは日本武道館で試合をしたこともあります。中学卒業するころには大学の推薦も来ていましたね。「お前は将来警視庁だ」とよく言われていましたよ。

ー ゴーカートに剣道とハードな中学生ですね。

横溝直輝 忙しかったんですが、一生懸命やっていた剣道で培った動体視力は今でもレースで活きています。その逆もあって、レーシングカートで養われた動体視力も剣道で活きていたんですよ。中学生って自転車で必死にペダルを漕いでもせいぜい2~30kmぐらいしかスピードを出せないと思うのですが、体感200kmぐらいのスピードの目に慣れていたので、相手の剣先がゆっくり見えたりして。

ー え! まるで剣豪みたいですね。ゴーカートはいつまで乗っていたんですか?

横溝直輝 18歳までです。世界カート選手権という、プロになるための登竜門とも言える大会に参加したのですが、そこではポールポジションを獲ることができました。その後はフォーミュラ・トヨタというレースに参加して、レーシングカートからフォーミュラカーにステップアップしました。ちょっと小さなF1みたいなものですね。

ー そこではどんな成績を収めていたんですか?

横溝直輝 2年間フル参戦したのですが、デビューした年でシリーズ3位になって、2年目にチャンピオン。年間10戦中6回優勝して、年間最多優勝できたんです。翌年からトヨタがF1を始めることになって、トヨタF1の育成ドライバーとして、F3というカテゴリーにステップアップすることができました。

ー 順風満帆なスタートですね。

横溝直輝 結果だけ聞けばそうかもしれませんが、実際、いっぱいいっぱいでした。20歳までは親の支援でできたのですが、そこから先はほぼ自費でレースをやっていたんですよ。アルバイトは何個も掛け持ちし、朝から晩まで寝る暇もなく働いていました。親にお願いして銀行から借金もしましたし。数百万の借金まで背負って、それでもダメならレーサーになることは諦めようと思っていましたね。

ー なるほど……。そんなにお金が掛かるんですね。

横溝直輝 フォーミュラトヨタドライバーといっても、言ったらただのアマチュアと変わらないですからね。お金を出して頂いてレースに参加するなんてとんでもない。自費で年間2,000万円くらい払い、なんとか必死に走っていました。きっとその時に失敗してしまっていたら、今でもその当時の借金を返済していると思いますよ。

そんな毎日を送り、その年の結果は3位。賞金などをやりくりして、借金もなんとか返済することができました。そんな自分を見てくれている人がいて、次の年からは全部スポンサーのお金でレースに出られるようになりました。

ー 一見華やかな舞台の裏側にはそんな世界があったんですね。

横溝直輝 僕の場合はそうでしたね。2005年までF3で走ったのですが、2004年には日本人で一番良い成績を収めることができて、バイトをしていた日々から比べれば、だんだんとレーサーらしい生活になっていきましたね。

レーサー人生における、大きな挫折。

ー そこからは今も戦っているGTに参戦ですね。

横溝直輝 はい。SUPER GT GT500に参戦しながら、2006年から2008年まで国内最高峰フォーミュラのフォーミュラ・ニッポンでも戦いました。日本ではトップカテゴリーのGT500で優勝、フォーミュラでも良い成績を残しはじめていたのですが、そこからが結構大変でした……。

ー 何があったんですか?

横溝直輝 2008年までは順調に進んだのですが、リーマンショックの余波など、経済状況が悪くなってしまい、決まっていた契約が突然無くなってしまいました。2009年にはGT500だけに絞っていたので、いきなりGTに参戦できなくなり、この年はスーパー耐久というシリーズに参戦しました。翌年には何とかあるチームと契約を結び、最終戦までチャンピオン争いをすることができたのですが、2011年には東日本大震災があって、モータースポーツに対して支援しづらいという理由でチームのスポンサーが降りてしまい、突然の無職に。

ー キャリアに空白があることは次の契約にマイナスですよね。

横溝直輝 そうなんです。2011年の途中でオファーをいただけたんですが、いつも最後尾を走っているようなチームだったんです。僕はいままでトップチームにしか所属していなかったので、自分のプライドとの葛藤がありました。

それに、最後尾を走っているということはクルマ自体が遅いってことでもあるんです。そのようなチームに所属して、いつも通り最後尾だとしたら、どんな状況であれ「横溝終わったな」って思われちゃうんですよ。乗るべきか、乗らないべきか。乗れるチャンスも無いまま引退になる可能性もあるので、悩みに悩んでマレーシアの”サンダーアジア レーシング”というチームと2戦のみ契約することにしました。

ー レーサー人生としてかなり重要な1年ですね。

横溝直輝 はい。どんなレースにも本気で取り組んできましたが、火事場の糞力を出し切りました。結果、まさかのトップタイムをたたき出したんです。

ー なんだか映画みたいな展開ですね。

横溝直輝 チームに入ってわかったんですけど、クルマのポテンシャルを全然出し切れていなかったんです。そして万年最下位ってことでチーム全体のモチベーションも低い。そこで僕の経験から色々とチームにアドバイスをさせてもらいました。

チームとしては経験もないし、メカニック達にも自信がなく、スーパーGTに参加することで満足してしまっているような雰囲気がありました。とはいえ、こっちは人生掛かっているんで、「ここをこうしろ、あそこはこうしろ」と、わがままをガンガン言っていったんですね。きっと相手はいきなり来た日本人がいきなり仕切りだしたことをうっとうしく感じていたと思います。しかし、そんな雰囲気の中、レースウィークの最初の練習走行でトップタイムを出してピットに帰ってきたとき、一人のメカニックなんて感動して泣いていましたよ。

そのとき、改めてこの仕事にやりがいを感じましたね。そこからはこいつの言うことを聞けば俺らでもトップを獲れると思ってくれたんだと思うんですが、メカニックの目つきが急に変わって、チームが一丸となりました。

万年最下位チームに僕が入り、いきなり良いタイムを出したことにより、改めて色々な方から評価して頂くことができ、次の年に向けて、色々なチームがオファーを出してくれたんです。

ー そのチームに残る、という選択肢はなかったんですか?

横溝直輝 うーん。自分を拾ってくれたので恩はもちろん感じていましたが、残るという選択肢は正直なかったです。もっと体制が整ったチームじゃないと、チャンピオンになるのは厳しい。チームのメンバーも「お前は速いチームに入るべきだ。お前の将来を考えたら、ここじゃない」と言って頂き、僕を笑顔で送り出してくれました。

ー レースって走るときは一人でも、チームスポーツなんですね。

横溝直輝 間違いなくチームスポーツです。そしてチームのモチベーションがかなり重要です。例えばレースで走る車両ってネジの数で言えば数万個あるのですが、その締め方ひとつで走りや、タイムに影響が出るんです。「とにかく締めておけばいいんでしょ」と思っているスタッフがネジを締めた車と、「絶対にこいつを勝たせてやる」という思いでネジを締めた車を比べたら、仕上がり具合がかなり変わってくるんですよ。だから僕はかなり細かくメカニックに要求を伝えます。

ー 今日の撮影中、ピットを覗かせてもらったんですが、大声も飛び交って、かなり血の気が多そうな方が多かったです。ケンカになったりしないんですか?

横溝直輝 今日は練習走行だからそこまで高ぶっていないと思いますけどね。お互い目的はひとつなので、憎しみ合うようなことにはなりませんが、僕はとにかく少しでも気になったことを諦めずに細かく伝えるだけです。例えば車高が左右で1mm違うだけでも僕らはわかるんです。絶対タイムに影響が出てしまう。

だから年上だろうが業界の先輩だろうが完璧にやってくれと、わかるまで何度でも言います。そして後は俺に任せてもらえば絶対優勝するから、と。

ー 結果で応えるということですね。

横溝直輝 走り出したら全部自分の責任です。だからこそ、走るまでの準備は完璧にやってもらいたい。完璧な状態に仕上げたクルマで悪い結果だったら僕が責任を負いますからね。

ー マシンセッティングの次は、実際横溝さんがハンドルを握って、コース場での闘いになると思うのですが、そもそもレーシングスーツを長時間着るだけでも辛そうですね。

横溝直輝 もちろんレーシングカーにクーラーなどないですから、夏場は車内が70℃以上になってしまうんです。さらに消防士が着ている防火性の高い生地でつくられたレーシングスーツを着つつ、その下にはニットのような身体が燃えないためのインナーと、かなり厚着をしないといけない。夏場などでは、1回のレースで5、6kg痩せるときもあります。

ー それは意外でした。走ることだけでなく、いろんなものと闘っているんですね。

横溝直輝 暑さは肉体のトレーニングでは鍛えられないので、気合いで乗り越えるしかないですね。レース中はモチベーションも高いので、走っている時はそれを忘れさせるスイッチが入っているんじゃないですかね。でも走り終わってクルマから降りるとき、熱中症や脱水症状で体がつっちゃったりするんです。

ー そんな姿をチームスタッフは見ているから、セッティングについて口うるさく言っても応えてくれるのかも知れませんね。

常に全力を出して勝利を掴む。

ー ドライバーとして幸せな瞬間ってどんな時ですか?

横溝直輝 勝ったときですね。去年チャンピオンになったんですけど、その時はいつも応援している親友が、いままでの苦労を知っているからめちゃめちゃ号泣していたんですよ。それを見ていたこっちがもらい泣きしたぐらい。勝つとそうやってスポンサーとかチームのみんなが本当に喜んでくれるとき、幸せだなって思いますね。みんなに感謝されながら大好きなレースに出られて、最高だなって思うときがぶっちゃけあります。

ー そこが幸せの瞬間だとすると、負けたときはチームやスポンサー、ファンに対して辛い気持ちになりますね。

横溝直輝 勝つしかないですね。結構僕のファンって子どもが多いんです。子どもが1人では来られないから、その家族みんなが入場料を払って来てくれるってことですよね? さらにサーキットって都心から離れたところにあるので、遠方からはるばる観に来てくれるんです。僕にとっては一年の何十レース走る中の一戦ですが、ずっと楽しみにして来てくれた子供たちの特別な一日ということを考えたら、僕は常に全力を出して一周一周を大切に走るしかないですね。

ー 負けず嫌いですか?

横溝直輝 すごく負けず嫌いだと思います。そうじゃないとこの世界でやっていけないんですよ。というのも、レースで走る意味ってことを突き詰めていくと、「レースで一位になること」です。そう考えると、ある意味変わった人間の集まりなのかも知れませんね。

ー そんな負けず嫌いの集まりだと、レース外でケンカになってしまうことってないんですか?

横溝直輝 そういうことって僕の周りではあんまりないですね。やっぱりレーサー全員が命をかけて走っているので、相手に対してリスペクトがないと、いいバトルができないですね。もちろん負けたら悔しいのですが、それは自分のせいだから。

理解されない、洋服のこだわり。

ー 話題をガラリと変えますが、普段のファッションについて聞きたいのですが、装うときにこだわっていることってありますか?

横溝直輝 特別に強いこだわりは昔から無いんですよ。みんなが洋服を買い出す10代の頃は手にしたお金は全てレースにつぎ込んでいたので、欲しくても洋服なんて買えなかったですよ。ファッション自体は好きなんですけどね。

ー それどころじゃなかったんですね。今はどんな服が好きなんですか?

横溝直輝 例えば今日着ている「黒のVネック」だけでもいろんなメーカーのものをたくさん持っています。見た目が同じものばかり購入することが妻には全く理解できないみたいなんですけど、Vの開き具合に細かいこだわりがあるんですよ。上着を着たときの首もとの微妙な見え方とか、もう感覚的なことになっちゃうんですけどね。

ー スーツはどうですか? 今回オーダーでつくられた、ニューヨーカーのスーツ姿がビシっと似合っていました。

横溝直輝 ありがとうございます。コーナリングのヨコGに耐えるために首を鍛えているので、既製品のシャツだとネックが合わなくてどうも格好良くならないんです。今回はシャツも仕立てたので、ばっちりです。良いスーツは着るだけで背筋が伸びて、気持ちいいですよね。それに人生で初めてのスーツが実はニューヨーカーさんのものだったんです。元服のお祝いだと祖父が仕立ててくれました。今回のお話を頂いた時もとても御縁を感じました。

モータースポーツの発展と次世代のレーサーの育成が使命。

ー これからの目標を教えてください。

横溝直輝 昨年はスーパーGTで全日本チャンピオンになり、今年はアジアルマンGTEクラスでアジアチャンピオンになることができました。次は世界に向けて挑戦です。これは現実的な目標なので、一つ一つのレースをしっかりと取り組んでいくだけですね。もっと大きな目標、というか役割としてモータースポーツを発展させることです。国内はもちろん、最近ではかなり盛り上がりを見せているアジアのモータースポーツにも活動の場を広げていきたいと思っています。また、自動車雑誌だけでなく、積極的にいろんな場に出て、モータースポーツの魅力を伝えていきたいですね。先ほど話した、車内が70℃以上になることも含めて(笑)。

2012年10月28日、ツインリンクもてぎにて行われたGT第8戦(最終戦)GT300で逆転優勝した時の様子。

ー 若者のクルマ離れ、とだいぶ前から言われています。

横溝直輝 そうですね。クルマだけでなく、いろんなことに興味を持ち、夢を描くことは良いことだと思いますけどね。ただ、その中でもレーサーに憧れている子どもって絶対いるんですよ。小さい頃の僕のように。カートを始めるにも、もっと敷居を低くして、すぐに挑戦できるような環境をつくっていきたいんです。そのためにはモータースポーツの発展も重要。繋がっているんです。

ー 最後に横溝さんが大切にしている言葉を教えてください。

横溝直輝 『成功の反対は平凡』です。成功の反対って失敗だけど、それを恐れてチャレンジをせず、安定を求めてしまうと平凡になってしまう。僕は平凡を成功だと思えないので、どんどんチャレンジしていかないと、ダメだと思っているんです。

ー なるほど。確かに若いときに随分借金もしていましたね。

横溝直輝 はい。成功するためにはリスクも必要だと思います。そのリスクを乗り越えてこそ、本当の成功が必ずあると思うんです。そして諦めないこと。例え失敗してもそれを糧にまた成功のためにチャレンジをしますけどね。

Vol.17 谷尻誠

Vol.15 日野皓正


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