TRADITIONAL STYLE

Vol.37 横尾忠則


Oct 14th, 2015

photo_shota matsumoto
text_yu fujita

この9月に「絵画部門」で2015年の高松宮殿下記念世界文化賞受賞が発表されたばかりの横尾忠則さん。受賞評価のひとつとして「質量ともに圧倒的な作品を作り続ける」とあるのですが、取材の日も、11月からニューヨークで始まる個展に向けて新作「Swimming Girls」の描き下ろしが進められていました。ボストン美術館での個展を2018年に控えるなど、いま横尾さんはデビュー以来何度目かの“注目期”を迎えているようです。日本にまだイラストレーター兼グラフィックデザイナーという仕事がなかった頃からキャリアをスタートし、45歳で画家に専念。生き方、作風、着こなし、どれをとっても独自のスタイルをもつ横尾さんに迫ります。

※こちらのインタビューは、各所で配布されているタブロイド版を再編集したものです。

僕の方が絵を追っかけているの。
「制作に追われる」という実感はないですね。

―― 目の前にある絵画の印象が強烈なので…、まず今アトリエにある描き終えたばかりの作品についておうかがいしましょう。その「Swimming Girls」のシリーズは、‘66年に発表された通称〝ピンク・ガールズ〟を彷彿とさせますが?

横尾忠則 そう、僕が初めて絵画の個展を開いたとき(東京・京橋の南天子画廊)に発表した女性たちね。あの頃は15、16歳だった彼女たちも、僕と同じように齢をとっちゃったというわけで、老女になっているのだけれど。

―― どぎついピンク色の肌と挑発的なポーズをとるピンク・ガールズは、当時、三島由紀夫さんが「無礼な芸術」と褒めたことでも知られています。お堀で泳ぐひとりの女性が、2015年になるとふたりに? ふたりのようでひとりにも見えて不思議です…。

横尾忠則 描いているうちに自分でも面白くなってきちゃってね。すでにギャラリーに納める予定の枚数は超えているから、いつでも終わりにしていいの。だけど、ニューヨークのギャラリーには「そっちに送るのは待って」と言ってある。

―― どのあたりが、「まだ」なんでしょうか?

横尾忠則 こんなポーズもできるかも? 背景の季節を変えたらどうなる? とかほかの絵を描いていると思いつくの。このシリーズで「もうちょっと遊べるんじゃないか」という気持ちがあるんだね。

―― お会いするまでは、横尾さんは日々制作に追われているのかと想像していました。

横尾忠則 僕のほうが絵を追っかけている感じ? 追われている実感はまったくないです。追われている絵のほうが「もう、いい加減にしてくれ」と言っているかもね(笑)。

初めてのニューヨーク滞在中の個展で
MoMAが全点お買い上げ

―― 先の話に出た、ピンク・ガールズの作品で初個展を行った横尾さんは、翌年の’67年に初めてニューヨークを訪れています。当時のニューヨークはいかがでしたか?

横尾忠則 サイケデリック・ムーブメントの真っただ中だったんです。ニューヨークだけでなく、ロスアンゼルス、サンフランシスコ、そしてロンドンでも。日本にはまったくその情報が入っていなかったので、驚きましたよね。その一方で、美術界はポップアートの全盛期でしたね。アンディ・ウォーホルのポートレートが、ジェームス・ディーンやクラーク・ゲーブルといった黄金期のハリウッドスターと並んでポスターになっていた時代ですよ。それを見たときは、身震いがしましたね。

―― 当時、横尾さんはグラフィックデザイナーとしての仕事が軸にあって、手がけたポスターがつないでくれた3名の方々を頼りにニューヨークに行かれたとか。そのうちのひとりが、現代美術家のポスターを扱う「ポスター・オリジナルズ・ギャラリー」のオーナー夫人だったそうですね。

横尾忠則 電話をしてみたら、向こうも驚いて。「今すぐ、画廊に来なさい。来週、あなたの展覧会を予定しているから」と言われたんです。行ってみたら、そこにあるのはウォーホルをはじめ、ロイ・リキテンスタインやジャスパー・ジョーンズといったそうそうたるアーティストの作品。そのとき僕は自分のことをグラフィックデザイナーだと思っているから、「ここでやるには敷居が高い」と正直に言ってみたんです。ところが「それはあなたの解釈であって、私たちはアメリカのアートシーンの中で解釈をしている。あなたのポスターはポップアートそのものではないけれど、十分アートに違いない」と言ってくれました。


TADANORI YOKOO 1965年 自主制作
103.0×72.8cm 紙にシルクスクリーン ニューヨーク近代美術館蔵

―― そして翌週の展覧会に並んだポスターをMoMA(ニューヨーク近代美術館)が全点買い上げることになるんですね。それを聞いてどう思われましたか?

横尾忠則 まったく自分の状況が理解できていなかったですね。まずね、ギャラリーは僕のポスターに100ドルの値段を付けたの。100ドルといったら、当時ウォーホルのマリリン・モンローのシルクスクリーンの値段と同じ。ウォーホルはサイン入りだけれど、僕のはサインなしでしょ? そもそも日本ではポスターというものは売るものではなく、あげるものだったしさ(笑)。

―― 当時まだ31歳。横尾さんにとってこの出来事はずいぶんと励みになったのでは?

横尾忠則 うーん。それがね、ニューヨークに並んだポスターは日本のコンペティションに出品してすべて落選したものだったんです。その頃、日本のデザイン界はモダニズムを志向している時代でしたから、僕のデザインは合わなかったんでしょう。東京でそんな状況なのに、アメリカに来たら全部売れちゃったという評価のギャップの理解に悩みましたね。

―― さまざまな刺激を受けて、初めてのニューヨークは4か月もの滞在になったとか。

横尾忠則 当初はニューヨークに10日間居て、残りの10日はヨーロッパを回る予定だったのにね。すでに僕のコレクターがいて、後にウォーホルの「インタビューマガジン」の編集長になる人にウォーホルを紹介してもらったり、それどころかジャスパーやラウシェンバーグやウェッセルマンらと会うことができて。毎日朝早くに起きて夜遅く寝るまで、靴がちびてしまうほど街を歩きましたね。当時の「ニューヨークの空気」が僕には必要だった。生きる目的とか、自分の魂に直接触れるものがそこにあったんです。後に僕がインドに通うようになったきっかけも、ニューヨークで出会ったクリシュナ教徒に興味をもったからでした。

人の霊性に触れる絵画を描くために、
自分の精神を育てる

―― その後、横尾さんは’72年にMoMAで個展を開催されます。横尾さんの才能をいち早く認めてくれたニューヨークを制作活動の拠点に据えることは、人生の選択肢になかったのですか?

横尾忠則 それはありませんでした。僕はね、初めてニューヨークに行ったときに自分と出合ったと思っているのですが、自分の中にあるモヤモヤとしている不透明なものを育てていかない限りはアートはやれないことも、そのときわかったんです。そうでないと、手先だけのアートになってしまう。自分の精神と向き合う作業は日本が向いているな、と。なんだろうな、政治は嫌いだけれど、市井の人は好きだし、食べ物もひっくるめて日本の古い文化が好きなんですよ。

―― そして45歳でいよいよ「画家宣言」をされて作家活動に専念されるわけですが、お話をうかがっていると、「外側から受ける刺激よりも、自身の内側を見つめることが描くテーマとなりうる」という横尾さんの考えはその頃から一貫しているのですね?

横尾忠則 そうですね。社会的認識とか時代の空気とか、ことさらに言わなくても、現代人として生きていればりんご1個描いてもそこに表れるはずだ、と僕は考える。古いタイプの作家かもしれないけれど、僕にとってはこれが新しいのだから、しょうがない。

―― 描いた後で、自分の作品を見て「こういうことが描きたかったのか」と気づくこともありますか?

横尾忠則 そういうことが多いです。その方が、観る人にも幅を与えるみたい。だって、自分の思考を論理的に詰めて描いたものは、僕の主張を押し付けるだけでしょう? ジャーナリスティックな視点をもって絵を観る人は、それで喜ぶだろうけれどね。僕は言葉にならない〝煮えたぐったようなもの〟を絵で伝えたいわけですよ。

―― 横尾さんの絵画には、横尾さんが幼児期から10代の頃に体験されたことが繰り返しモチーフとして登場してくるのも、それが理由ですか?

横尾忠則 そうね。20代になると知識と情報でものを見てしまうでしょう? その視点のままに描いたら、観る方だって「ああ、知っている、知っている」となりますよ。人間の心とか、魂とか、霊性と向き合うには、それ以前の10代の人格が形成される以前の記憶や経験が必要なんですね。

―― だからこそ、横尾さんの絵は国を超えて受け入れられるのかもしれませんね。何十年も前に描いた作品が、今再評価されているということも、時代を越えて人々の心に響くものがあるということでしょうね。

横尾忠則 そうとも言えるけれど、描いた当時に評価されていたほうがうれしいよね(苦笑い)。それに、集中してオファーがくるよりは、まんべんなく声をかけてくれないかな、とも思うけれど、それはこっちの勝手でね。振り返れば、みんなと足並みをそろえてやってこなかった、そこが自分のいいところだったのかな、と思います。

人がすでにやったことでも、
自分がしていないのなら、やる

―― 現在79歳。まだまだ新しい絵が生まれそうですね?

横尾忠則 ごく最近のことですが、僕の20数年のグラフィックデザイナーとしての経験を絵画にも活かすべきではないかと気が付いたんですよ。これまでは、いかにグラフィックのテクニックを捨てていくか、が自分にとって絵を描く作業だったのに。

―― ええっ! 今からそこに戻るのですか?

横尾忠則 やったことのない絵が描けそうでしょう? とにかく、自分のスタイルを固定して持続させることはやめたいんです。毎日肉体が新陳代謝を繰り返しているように、創作も毎日新しいことを実験したいんです。


メドレー競技 2015年
45.5×106.0cm キャンバスにアクリル フリードマン・ベンダー・ギャラリー蔵

―― それは、横尾さんがせっかちな性格だから、とかではなく?

横尾忠則 そう、飽きやすい性格ですね。それに従ってるんです。とにかく新しいことがやりたいんです。僕がやったことがないことでも、すでに誰かがやっていることかもしれない。でもそれはその人の問題で、僕がやっていないんだから、僕がそれをやるべきで。またその次に何かが待機していると思う。だから僕の絵には終わりもないし、完成もありません。

着る服はムチャクチャな組み合わせでいい

―― 最後に、ファッションについておうかがいしましょう。横尾さんの若い頃のポートレートを拝見すると、アーティスト然としたカッコイイ写真が残っています。

横尾忠則 グラフィックをやっていたときは、洋服を買うためにわざわざ海外に行ったこともありました。でも絵を描くようになったら、無頓着になりましたね。三宅一生さんは新作ができるたびにプレゼントとしてくださるので、今は一生さんの洋服と近所のジーンズメイトを組み合わせることが多いかな? クローゼットに掛かっている洋服は自分のセンスで選んだものだから、どれを合わせたって、それなりに見えるわけで。だいたい、僕の絵もムチャクチャな組み合わせで描くんだから、いいの。

―― そうでした、洋服にも作風が通じていたんですね!

横尾忠則 スーツを着たら靴下だけはダサイのを合わせるとか、スーツの下のパンツはドクロ柄とかね、こっそり遊ぶのが好きだな。人に見せるファッションから自分で楽しむファッションにだんだん変わってきましたね。

今月のトラディショナル スタイル
横尾忠則

1936年兵庫県西脇市生まれ。23歳から東京に拠点を移し、グラフィックデザイナーとして活動。1972年にMoMAで個展開催。同美術館史上、グラフィックデザイナーの作品で展覧会を催すのは横尾さんが最初の作家だったという。1980年、45歳のとき「画家宣言」を行い、美術家に転向。パリのカルティエ現代美術財団で開催された個展(2006年)に代表されるように、近年では海外で作品を発表する機会も多く、高い評価を集める。2012年神戸に「横尾忠則現代美術館」が、2013年香川県豊島に「豊島横尾館」が開館。 横尾さんのパワフルな自伝は『ぼくなりの遊び方、行き方』(ちくま文庫)で読むことができる。この日のTシャツは40年来交友のあるオノ・ヨーコさんから贈られたもの。2010年から始めたツイッターは16万人を超えるフォロアーがいる。 http://www.tadanoriyokoo.com/

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Vol.36 ピーター・バラカン


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